入院漫談⑦

 ベテラン患者として、一番辛い時期が全身麻酔後の三時間である。

 肩の手術はそうだったし、今回もそう。

 

 全身麻酔を受けたことある人なら必ず経験したことあると思う。それは麻酔覚めてから三時間マスクつけて酸素を吸うことである。なんとも思わない人もいるけど、自分にとって結構のトラウマである。麻酔から覚めたとはいえ、完全にその影響が切れたわけではない。意識があったり消えたりするし、体も思った通りに動かない。しかも今回の手術は鼻の手術だので、術後の血などは全部口経由で外に出す。要するに三時間酸素マスクつけながら、意識朦朧の中で、頻繁に上体を起こして大量な血などを吐き出さなくてはいけなかった。普段筋トレ励んでいたのに、このときどうしても腹筋に力が入らなくて、横になったまま吐き出したりもした。

 一昨年の手術の経験から、いかにこの三時間を耐え切るのかは重要だと思う。ただ寝るだけで過ごせるならもちろんそれに越したことはないが、奈何せん自分にはできなかった。どうしても覚めたりとかするので、意識朦朧の間何かを脳内の劇場で再生させないと時間が余計に長く感じてしまう。2回目肩の術後は脳内に音楽を流していた。痛みなどを緩和するだけではなく、時間を測るための工夫でもあった。例えば、ある8分の曲があって、この曲が8分だから、脳内で一通り再生したら、もう8分過ぎたことが解る。しかし、時間という概念を創造(或いは想像)したのは人間である以上、それがいつでも、誰にとってどんな状態でも等しく流れるものではないに決まっている。要するに当時の自分が8分の曲を脳内再生するつもりだったのに、現実(或いはソトの世界)ではもう30分が過ぎたような状況がほとんどであった。哲学か物理に詳しい人に聞きたいが、これはいわゆる相対性理論でしょうか。

 相対性理論といえば、その理論を築き上げたアインシュタインがかつてこのようなことを言った。即ち「熱いストーブの上に1分間手を載せてみてください。まるで一1時間ぐらいに感じられるでしょう。ところがかわいい女の子と一緒に1時間座っていても、1分間ぐらいにしか感じられない。それが相対性というものです。」と。

 それをヒントにして、今回の術後三時間の対策は曲再生ではなく、楽しい思い出を映画のように脳内で上映することにした。まず曲再生しても時間を測ることができないと前回の入院でわかった。そして、楽しいことをすると時間が短く感じられてしまうので、もしかしたら、楽しい思い出に浸る三時間が3分間のように感じるかもしれない。

 一応手術前の1ヶ月はその思い出選びを意識していた。やはり去年の留学が一番新しい記憶なので、留学中の楽しい思い出を選んだ。

一人海岸で横になって、「君をのせて」を聞きながら、イギリス海峡を眺めた記憶。

バーベキュー終え、夕日に向かってハーモニカを吹く記憶。

ローマ旅行中すごく神々しく感じた入道雲クラウドナイン。

冬の一人旅で、セーヌ川散歩中空から落ちてきたように急に現れたエッフェル塔

グルテン丘のnorwegian wood 。レマン湖の桟橋。

アーベルクの乙女。ローザンヌのバルコニー。

などなど

 こちらの記憶はいずれもホントウに強い喜びを感じさせる思い出である。ハリーポーターの世界観を借りれば、こちらの記憶はいずれも自分の守護霊を呼び出すことができ、「エクスペクト・パトローナム」を唱えればディメンターを退治できるほど強い。(思い出す時に、ショパンの別れの曲か、ドビュッシー亜麻色の髪の乙女か、ゴッドファーザーのテーマのbrucia la terraかをBGMに流すと威力が倍増する)

 万全の準備をして、術後の三時間に臨んだが、計画通りにいけなかった。

 前述したように、術後頻繁に上体を起こして血を吐く必要があった。ということは肩手術の術後みたいにただ横になるだけの三時間ではなかった。つまり一つの思い出のクライマックス及びその前の段階で、すでに血が喉から垂れてきたので、すぐ現実に戻り、上体を起こしそれを吐き出さねばならなかった。せっかく用意した強い喜びを感じる思い出が中途半端に脳内再生し、すぐ意識を現実に戻して、ソトの時間に支配されざる得なかった。

 結局、血を吐くの合間、最近ハマっている北京の民謡を脳内再生していた。

 

3時間後、23歳の可愛い看護師が酸素マスクを外してくれた。若干尿意があって、トイレ行こうとしたが、その後術後三時間よりもっと辛いモノが待っていたことを、当時の僕は知る由もなかった。