入院漫談⑩ 最終章

 これが入院漫談の最終章。

もう入院しません、入院しません、入院しませんので!

 

 昨日は病院に行き、鼻の中に残るプレートやガーゼを全部取った。

 ハサミやカメラが鼻に入っているときはさすがに痛みを感じた。カメラは5cmぐらいの内視鏡だった。これを見たときに、手術は全身麻酔で良かったと初めて思った。なぜなら、昨日は鼻から副鼻腔までの通路だけ掃除したので、副鼻腔に入れてしまうともっと長いカメラを使ったに違いない。意識ない時は分からなくて済むけど、昨日ははっきりとこんな長いやつが鼻に入ってくるのを認識しながら手術行ったので、痛みよりもカメラが入ってくるぞという恐怖が一番不快だった。

 プレートでいうと、金属板のイメージは強いが、僕の鼻に詰まっていたプレートは、直径3センチほどのシリコンの円形板二つであった。いざ鼻の中の異物を取り出してしまうと、凄まじい解放感がした。この解放感は肩のプレートを取った後にも感じた。一番最近に感じたのは、今日イギリス留学時である。約束通りのちょっと汚い話だが、これに勝る解放感のエピソードは中々ない。

 僕が住んでいた街はブライトンという海辺のリゾート地だった。留学中良く友達とパブに行き、浴びるようにアルコールを飲んでいた。一番よく通っていたパブが海から近かった。帰り道はいつもビーチを歩きながら帰った。夜の海は真っ暗で、ホライゾンが分からなく、海と空に境界線が消えていた。暗すぎて、潮の音がなかったら、海の存在すら分からなかった。中二心でありながら、ビーチから一歩進めば無の空間に踏み入れてしまうと想像すると、妙にドキドキしてしまう。冷たい夜の潮風に吹かれ、アルコールの利尿作用が働き始める。イギリスはコンビニのようないつでもトイレが使える所がなかった。留学初期は我慢して家に帰ってから用を足したが、ある日おしっこを我慢しながら、パブ帰りで海を見ながら一念発起した。全ての数が0を掛ければ0になると同様に、無の空間に何を残しても無であると悟った。そこから潮がギリギリまでくるとこに行き、チャックを下ろし、用を足した。どうせ満潮の時、自分が用を足した場所を海がそれを希釈してくれると、自分の恥や罪悪を自分が薄めた。こうして、僕はイギリス海峡をトイレにした。

 赤裸々の自分を丸出し、それを受け入れてくれる相手がイギリス海峡。もしかして自分が生み出したおしっこを、海水が対岸のフランスまでもってくれるかもしれない。このスケールの大きさや解放感はどんな大きいトイレでも感じることはできないだろう。暗闇に隠れた海よ、ありがとう。

 もちろん、留学中この海を舞台とした色んなことがあった。しかし、一番気に入ったのは真夜中の海であり、一寸先は闇の海岸だった。留学最後の飲み会の帰りに、スペイン美女と一緒に帰った。海岸沿いを歩きながら、酒の勢いでこの人には言えない趣味を話したら、大いに共感されて、「if I was a man , i would do the same 」と言われた。

 物理的に鼻のプレート抜きはイギリス海峡をトイレにしてしまうほどスケール大きくない。しかし24年間無意識によって行われる動作が人工的に止められ、その2週間後また人工的に再開されると考えると時間軸でスケールの大きさを挽回できた気がする。前回の入院も気づいた普段通りのありがたさを今回も感じた。普段自由に動けるはずの肩が、思ったまま動かすことができなくなる。しかし、普段肩を使う時誰がそのパーツを意識しているだろう。鼻で息をすることは当たり前すぎて、無意識に行われているが、いざできなくなってしまうと、普通の鼻呼吸を有難く思ってしまう。入院して一番得たこと普段通りの生活や健康の体への感謝だった。

 

入院しないために、これから健康的な生活を送る予定です。皆さまの体が怪我せず健康的な体でありますようにお祈り致します。

これで入院漫談を終了させていただきます。

長い間ご愛読ありがとうございました。

もう入院しません、入院しません、入院しません。