入院漫談⑤

 入院して八日。

 

今日イケメン君が退院した。

 

鉛色の空がこれ以上なく低く、地面に沈もうとしていた。近いところにある建築中のビルが、それを突き刺す勢いで、頑張って高さを伸ばそうとしている。そして、カーテンを開ける時に窓の結露。いかにもこの深秋の寒さを物語っている。

 

昨日の夜、イケメン君がいきなり「ドクターってかっこいいですね」と言い出した。なるほど、確かにそのプロフェッショナルを自分も格好いいと思っている。彼がサッカー部なので、僕が「プロのサッカー選手もかっこいいよな」と返した。

 

その後も話が続いていたが、結局病院の先生にしても、プロのサッカー選手にしても、みんな間違いなく一つのスキルを持ち、それを極めている(プロの人からして、極めようとしているが)。だから、格好いいのだ。というのが、我々の結論だった。

まさか、最後の一晩に真面目な会話をすると思わなかった。

 

イケメン君と知り合いになった時に、彼がサッカーのプロになるのか、それとも就活するのかを悩んでいた。だが実はその時、すでに彼が選択を決まっていた。サッカー選手の引退が早く、その後の生活を考えると、やはり就活する方が得策だ、ということで、来年就活することにした。僕と一年しか変わっていないので、彼の意見に口を出す事ができなかった。

「でも、サッカー選手も捨てがたいですね〜」と、時々彼がその言葉を漏らす。

「サッカーをそんなに愛しているならば、プロになってもいいじゃないかな〜」と、時々僕が思う。

 

まぁ、何するにしても、その道のプロになればいいだろう。サッカーのプロにしても、就職してその業界のプロになるにしても、活躍分野が違うだけで、人間的な魅力はちっとも変わらない。自分の選択に責任を持ち、辛い目にあっても、死ぬまで後悔しなかったらそれでいいだろう。

 

荊の道を歩むだろうが、あんなもん関係ない。

気張れ!イケメン君。

彼が退院した時、些か雨が降り始めた。

 

 

通路を挟んで、僕の向こう側に年配なおじいさんがいる(大凡70ぐらい)。イケメン君がいなくなると、部屋の旧メンバーが彼と僕しかいなくなった。

このおじいさんがとにかく無口な人だ。

病気で、お粥しか食べれず、その口から発している言葉も聴き取り難く、喃語のようなものだ。(しかし、こんにちはだけは聴き取りやすく、力強い)

仮に病気がなく、綺麗な言葉喋れるにしても、この人は決してよく喋る人ではないだろうと僕が思う。理由あるわけではないが、そう確信している。

毎日、妻と娘が見舞いに来ている。

夫の方と眞逆で、妻が明るくて、よく喋る人だ。

おじいさんが頑張って食事をすると、妻がまるで子供を相手にしているように自分の夫を励ます。

「じょうず、じょうず、よく噛んでね」

「全部食べたの、えらいじゃない。」と

それを聞いたおじいさんも、いつも子供のように喜び、純真無垢な笑顔になる(筆者の想像)

 

彼らは知らないが、年寄りの看護師みんな、この老夫婦を羨ましく思っているのだ。僕はある看護師(40後半、女)と雑談している時に、この老夫婦が話題になった事がある。その看護師曰く、「無口な夫に明るい妻、すごいいいコンビじゃない。羨ましいわ」と、かなり憧れているようだ。

 

僕は結婚にとても大きい抵抗感を抱いている、しかし、この老夫妻が例外だ。いつ結婚されたのかわからないが、彼らの人生が実に日本の成長とともに歩んできたのだ。幼い時に戦争が終結し、青年の頃東京オリンピック、働き盛りの時期に日本が飛躍的な経済成長を成し遂げ、定年とともに、バブルが崩壊する。彼らがまさに時代の証人だ、この老夫妻がお互いの手を握りながら、それらの事を自分の目で見る事ができ、参加した。

おそらく生活がきつい時に無口な夫が、家族の大黒柱となって、家族を支えてきただろう。そして、今やその大黒柱が弱くなり、逆に明るい妻が世話をしている。彼らの姿を見ると。外が雪だろうが雨だろうが、この老夫婦がいる限り、西病棟の8053室はいつも暖かい。

 

P.S今日おじいさん三分粥まで挑戦し、それを食べきれた。

おめでとうございます。